新型肺炎による都市封鎖後  防疫前線に立つドライバーたち

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新型肺炎による都市封鎖後 防疫前線に立つドライバーたち

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新型コロナウイルスによる肺炎感染者拡大後、武漢で真っ先に動いたのは大小さまざまな車両だった。

これは硝煙のない戦いである。各車両には生死に関わる物資が積み込まれ、各車両が載せるのは命の重さだ。

車両所有者によるボランティア

楊躍氏は武漢生まれの武漢育ち、中国EVメーカー蔚来汽車(NIO)の「武漢車友の会」会長でもある。NIO車友の会は新型肺炎が発生するや真っ先に物資の寄贈をしてきたが、1月後半、運送会社の春節休暇で物流がほぼ停止した。そのため、「自分たちが最前線に立つ」と語り、自ら救援物資配達班を組織した。

救援物資を受け取る楊躍氏:写真提供はインタビュイー

楊躍氏は一晩悩んだ末、春節前日(1月24日)、湖北省民間の運転ボランティアに参加を決めた。最初のミッションは、武漢市武昌区文化大道から湖北省人民医院に医師を送り届けることだった。医師は楊躍氏に証明書を渡して後部座席に座り、車を降りてからアルコールで座席とドアハンドルを消毒した。楊躍氏は一度も車を降りず、双方とも言葉は交わさず、目礼しただけだったが、「心が通じあった」と感じた。

武漢封鎖後、楊躍氏は毎朝9時に出かけ、帰宅時には全身を消毒する。必要があれば夜中の2時まで送迎に対応している。

1月25~28日、政府の設備が徐々に充実してきたため、武漢民間ボランティアチームは6000人から3000人に縮小された。楊躍氏の医療関係者送迎ボランティアの回数も1日100件以上から30件程度に減少した。

最前線で奮闘してきた楊躍氏は、次第に最前線から後退することとなったが、闘いはまだ終わっていない。その後、楊躍氏は医療物資配送ボランティアに参加することにした。

マスクを積み込む謝蕭氏:写真提供はインタビュイー

ネット配車ドライバー:医療スタッフに温もりを

武漢市が「都市封鎖」を発表した日の朝、「東風出行(Dongfeng Chuxing)」ネット配車ドライバー、管文剛氏は少し緊張した。車の窓越しに外に目をやると、いつもは混んでいた大通りも人影はまばらだ。

春節前日、武漢市新型コロナウイルス肺炎感染予防制御指揮部は第8号通告を発表、交通手段が遮断されて移動できなくなった居住者のために、全市で数千台のタクシーを緊急募集した。中心市街地の各「社区」(中国独自の地域コミュニティ、行政単位)に3〜5台の緊急車両を配備するという。管文剛氏は東風出行に所属する1000人のドライバーのうちの一人として、出退勤する医療スタッフの送迎を担当する。

緊急時に病院スタッフは24時間交代制で勤務する。時間を無駄にしないため、管文剛氏は通常午前6時過ぎに起床して待機、毎日約100キロを走行、最も多い日は4名の医師を送迎した。

24歳の若い医師もいた。車に乗る前に毎回、母親はスーツケースを持つ彼に何度も言葉をかける。

管文剛氏は「彼らは死と隣り合わせなのだ。でも、医療スタッフは一人で戦っているのではない。医療スタッフには温もりを感じてもらいたい」と言う。

住民のため買い物をして届けるボランティアドライバー:写真提供は東風出行

トラックドライバー:千里の道を一人で走る

1200キロメートルを20時間、殺風景な高速道路をノンストップでひた走る。食事は車中でインスタントラーメンとソーセージだ。40歳の「福佑卡車(Fuyou Kache)」トラックドライバー丁波氏は、極めて異例な春節前夜を過ごした。

車には、北京、天津、河北省廊坊市からの医療防護服やマスクなどの医療用品が積み込まれている。人手不足のため、毎回作業員を雇わねばならず、積み込みにも1時間かかった。行先は武漢市の同済医院と協和医院。新型コロナウイルス肺炎の爆心地だ。

河北省定州市のサービスエリアでは、知らせを受けた60代の母親が鍋から出したばかりの熱い餃子を手に彼を待ち受けていた。

高速道路上での検疫検査:写真提供はインタビュイー

いつ帰宅できるのか、丁波氏自身もわからない。春節前日午後3時30分、武漢に救援物資を送るトラックドライバー募集について会社からの通知を受け取った。彼は躊躇せず最初の志願者になった。「2013年四川地震の時も直後に物資の配送に行った。ウイルスを怖がってどうする?」

外科病棟:写真提供はインタビュイー

防護服の消費量は非常に多く、病院では毎日約1000セットの防護服が必要だ。使い捨てであるため、トイレに行ったらもう使用できない。無駄にならないよう、医師や看護師はみなトイレを我慢し、1着の防護服を8〜9時間着用する。

丁波氏が届けた物資で病院が正常に稼働できるのは2日か3日だ。

春節2日目(1月26日)の朝4時、北京に戻る丁波氏は特別通行証を手に危険な街を後にした。

1月26日午後、北京への途上、丁波氏は武漢への新たな配送要請を知り、再び志願する。1月29日までの5日間、この河北省の男性は北京と武漢の間を2回往復し、一日平均1000キロメートル近く走行した。今、彼は3度目のミッションを待っている。

今直面しているのは硝煙の見えない戦争で、物資の一つ一つに大きな価値がある。そして、武漢へとひた走るどのドライバーも希望を載せて現地へいくのだ。

ドライバーたちの防疫戦争は今も続いている。

(翻訳・永野倫子)

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