中国動画共有サイト、弱肉強食の13年史(前編)―創生期から金融危機まで

2018年サッカーW杯ロシア大会開催で、中国の大手動画共有サイト優酷(Youku)は、国内でのインターネット放送権を獲得した。涙をのんだのがライバルのテンセント(騰訊)。放送権はほぼ手中に収めたと目されていたが、まさかの逆転劇に終わった。

中国国内で10年以上続く動画共有サイトの陣取り合戦。W杯放送権にとどまらず、合併や資金投入合戦などさまざまに形を変えて繰り広げられた戦いに、これまで400社超が参戦した。そして2018年現在、勝ち残ったのはやはり三大IT企業「BAT(バイドゥ、アリババ、テンセント)」だった。その歴史を2005年から振り返る。

土豆網が誕生した2005年が中国動画サイト元年。

2005年は中国動画サイト元年と言える1年だった。知識や技術、アイディアはあっても資金は持たない若者たちが、学生寮や小さなアパートの一室で寝食を忘れて奮闘し、多くのサービスを立ち上げた。

先陣を切った一つが、2005年2月に正式リリースされたオンラインTVサービス「PP視頻(PPTV)」だ。立ち上げたのは休学中の大学生、姚欣だった。きっかけは、2002年のサッカー日韓W杯だったという。大会期間中、彼の在籍していた華中科技大学では5000人の在校生が試合を観戦するためインターネットに接続、学内のサーバーが落ちるというトラブルが頻繁に発生した。以来、姚欣はPP視頻を立ち上げるために数人の仲間と学生寮の一室を拠点とし開発に没頭、自身は学業を棚上げして資金集めのため100人以上もの投資家を訪ね歩いた。最終的にはP2P(端末間通信方式の1種)とCDN(コンテンツデリバリネットワーク)を融合したテレビ番組のライブストリーミングサービスを実現した。

PPTV創業者、姚欣

同年4月には、中国の動画共有サイトと言えば必ず名前の挙がる「土豆網(Tudou)」も誕生した。土豆網はわずか5人のチームでスタートした。

昼夜を問わない開発作業が3カ月続き、ようやくリリースされた土豆網。創始者の王微に成功の確証はなかったが、「プレスリリースの出稿費を無駄にしたくない」との理由でえいやと公開に踏み切った。リリース数日後、王微の前にベンチャーキャピタルIDGのパートナー高翔が現われた。彼が土豆網の最初の出資者となった。

6月にはP2Pを駆使した会員制動画サービス「PPS影音(PPStream)」が登場した。インターネット上で出会った張洪禹、雷量の2人が、わずか10平米のアパートで開発したサービスだ。技術開発には熱心だったがお金に無頓着だった2人は資金繰りに難航、「誰の出資も受けずにやっていこう」と腹をくくった。

2006年7月、多数のファイル形式に対応するメディアプレイヤー「酷熱影音」を発表した馮鑫も同じく出資者を見つけることができず、自身の50万元(約800万円)を投じて起業した1人だ。

この年に登場した動画サイトで最初に頂点に立ったと言えるのが、大手ポータルサイト網易(NetEase)出身の周娟が4月に正式リリースした「56網(56.com)」だ。中国の動画サイトに多いドラマやアニメなどTV番組の転載ではなく、一般ユーザーによる投稿動画をメインとしたサービスだ。ただし、2008年6月に関係当局から業務停止の措置が下り、サイトは1カ月間の閉鎖を余儀なくされた。理由は諸説あるが、正式な営業許可を取得していなかったからだと言われる。事件をきっかけに、中国の動画サイト業界は「土豆網」と「優酷網(Youku)」の二強時代に突入していく。

2000年代後半、優酷とbilibiliが生まれ大戦国時代に

2006年10月、世界最大の動画共有サイトYouTubeがグーグルに買収された。ここから中国の動画サイトは爆発的成長期に入る。雨後の筍のように約400のサービスが登場した。

2006年5月に公開された「六間房(6.cn)」は一時期、国内最大の動画共有サイトとなった。創設者の劉岩は1999年に国内外の映画6000本の版権を獲得するものの、これをネット配信するという事業計画が工商行政管理局の理解を得られず、当時は会社登記を断念。7年越しに事業化を実現した。

同年12月に正式リリースされた優酷は、中国三大ポータルサイト「捜狐(SOHU)」元COO兼総裁の古永鏘(ビクター・クー)が立ち上げた。1998~2005年まで捜狐に在籍するも、次第にCEO張朝陽との関係が悪化して離職した人物だ。

そのほか、アニメオタクを主要ターゲットにして成長した動画共有サイトもある。2007年6月にサービスを開始した「AcFun弾幕視頻網(AcFun)」と、2009年6月に発表された「bilibili(ビリビリ動画)」だ(※bilibiliと改称したのは2010年1月)。いずれも再生中動画の時間軸に沿ってユーザーがコメントを書き込み、表示させる機能を売りにしている。

リストラ、仲たがい……金融危機が業界を切り裂く

2008年、世界金融危機が発生し、各動画サイトは深刻な資金難に陥った。

2006年6月にベータ版をリリースした動画共有サイト「酷6網(KU6.com)」は、サービス存続のために2009年7月、ゲーム開発企業の盛大互動娯楽(シャンダ・インタラクティブエンターテインメント)の傘下に。創業者の李善友は泣く泣く4000万ドルで会社を売った。2010年6月には中国の動画共有サイトとして単独で初めてNASDAQへの上場を果たす。しかし深刻な赤字が続き、両者の蜜月期は終わった。李善友は創業5年にして離職に追い込まれた。

酷6網と同じく4000万ドルを調達しかけたものの、金融危機のあおりでふいにしてしまったのがPP視頻だ。学生時代に創業した姚欣は27歳になっていた。自身の同窓生でもある創業メンバーを切り捨て、自身も無給で働くことでなんとか倒産は免れたものの、再び4000万ドルを調達し、何とか首をつないだのは1年後のことだった。

この時期、各動画サイトは日々を生き抜くことで精いっぱいで、事業縮小、大規模なリストラ、大幅な給与削減によってメンバー間のあつれきを数多く生んだほか、多くのサイトが吸収合併を繰り返すことになった。(後編に続く)
(翻訳:愛玉)

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