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貧困農家出身、勤務先追放、広州で起業……不動産創業者に共通する下克上キャリア【恒大債務危機の深層(中)】

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中国の不動産大手・中国恒大集団の債務危機が大きく報じられ、同社の規模感や「第二、第三の恒大」となりそうな企業があることが広く認識された。また、9月下旬には同じく大手の融創中国が、地方政府に支援を求めたと報道された(同社は否定)。3回連載の2回目は、業界4強の「中国恒大」「碧桂園」「万科企業」「融創中国」の成長の要因や共通点を解説する。

ランキング激変した2010年代

中国の不動産企業を年間不動産販売額で見ると、上位5社の顔ぶれは2017年以降固定している。ただし、10年前と比較するかなりの変動がある。2010年のランキングのトップは万科企業で、恒大は5位。碧桂園は9位で、2003年に設立された融創は上位30社にも入っていない。

万科は不動産企業を初めて株式会社にした業界のパイオニアで、2000年前後にはテレビ番組でレノボや中国最大の民営自動車メーカー、浙江吉利控股集団のトップと対談するなど、中国経済界の敏腕経営者として知られていた。この万科と上海に拠点を置く緑地集団、そして国営企業の保利集団が2010年代前半までトップ3を占め、特に万科は2015年まで不動の首位に君臨していた。

恒大の債務危機が露見した後、中国の消費者がすぐに「碧桂園と融創は大丈夫か」と連想したのは、3社が2010年代に勢力を急拡大した下克上企業だからだ。地方政府に支援を求める文書を送ったと報じられた融創中国は、後継者不足や経営不振などの問題を抱える同業他社を救済し、陣容を広げてきた。

不動産4強には他にも共通点が多い。恒大、碧桂園、融創の創業者はいずれも貧困農家の出身だ。万科の創業者・王石氏は父がサラリーマンで3人ほどの厳しさはなかったが、それでも家庭の経済環境は平均以下だったという。

天津に本社を置く融創以外の3社が、改革開放を号砲にいち早く発展した広東省で起業しているのも興味深い。

これらから見えるのは、中国の高度成長が始まり、インターネットが中国に上陸する前の時代、不動産業界は「持たざる者」にとって最もチャンスが大きい空間だったということだ。

大学入試再開で農村脱出のチャンス

恒大創業者・許家印氏が貧困農家出身で早くに母を亡くしていることは、今回の騒動を機に広く知られるようになったが、碧桂園、融創の創業者の出自もなかなか強烈だ。

碧桂園を創業した楊強国氏は農家の6番目として生まれ、17歳まで靴を履いたことも、新しい服を着たこともなかった。同氏は資産の多くを家族に移しているため、長者番付の上位に顔を出すことはないが、不動産会社を成長させるため「開発区域に私立学校を誘致し、市場価値を上げる」手法を業界で最初に取り入れ、富を得た後は貧しい子供の支援に力を入れている。許氏以上の「中国ドリーム」の体現者だ。

融創の孫宏斌氏は農作業を手伝いながら勉強を続け、1978年に15歳で武漢市の大学に合格、22歳で清華大学の修士を修了した。中国は文化大革命で大学入試が10年間中断したため、入試が再開した1977年、2年目の1978年には受験生が殺到し、この2年の合格率は数パーセントだった。恒大の許家印氏も1976年に高校を卒業し、1978年に武漢市の大学に入学している。許氏は後年、「大学入試の再開で自分の人生が開けた」と語っており、改革開放政策によって機会をつかみ、生まれ育った環境から脱出できた2人は、時代の申し子であるとも言える。

碧桂園、融創、万科は「3つのレッドライン」のうち1つが引っ掛かっている。恒大に比べリスクは低いが、経営への疑念が高まっている。

3人は社会に出てからも苦労している。楊氏は碧桂園を創業するまで建設作業員をしていた。

大学で冶金技術を学んだ許氏は鉄鋼会社に就職したが、1990年代に不祥事で会社を追われ、急速に発展した深センで就活をして商社に拾われた。同氏は長者番付で中国首位に立った翌2018年、失業者だった自身を拾ってくれた商社の上司を夫婦で訪問している。

幼少時から頭脳明晰だった孫氏は新卒でレノボに入社し、同社創業者の柳伝志氏の右腕として異例の昇進を遂げたが、その後、柳氏から忠誠心を疑われて追放され、公金横領の罪で4年間投獄された。ただし同氏は潔白を主張して後に罪は取り消され、柳氏からは融創の創業資金を援助してもらっている。

万科の王石氏にも触れておこう。同氏は高校卒業後、新疆などで5年間従軍し鉄道エンジニアになった。その後、広東省に移って政府職員として投資の誘致に従事、トウモロコシの貿易、日本企業との貿易を経て、1984年に深センで万科の前身企業を設立した。1988年には中国で初めて募集株式を発行し資金調達しており、経歴を見ても先見性があったかがうかがえる。

成長期は巨額債務も好意的な受け止め

4人の創業者は何もないところからキャリアをスタートさせ、自身の才覚だけを頼りに大企業を育て上げた。その生き方は、戦後復興から高度経済成長期、バブル期に渡って流通戦争の主役となったダイエーの中内功氏(故人)を連想させる。許氏がサッカーやEVに大金を注ぎ込んだのに対し、ダイエーはプロ野球経営に参入し、福岡でツインドーム構想をぶち上げた(バブル崩壊で実現しなかった)。

彼らはこれぞという事業には集中的に投資をし、経済の追い風が吹いているときには、過剰債務も「成長への種まき」として前向きに受け止められた。一方で、ゲームのルールが変わると全てが逆回転した。

中国メディアの報道によると恒大の許氏は2018年に碧桂園、万科、融創の創業者を会食に誘い、「不動産の黄金時代は本当に終わった」と確認しあったという。しかしその後も、借り入れに頼って巨額投資を行う手法は変えられなかった。

ダイエーをはじめ、バブル崩壊後に窮地に陥った日本の小売り企業の多くは、イオングループに救済された。

中国の不動産業界もこの10年で窮地に陥った大手・準大手が何社かあり、より大きな企業の支援を受けたが今はどこも自社の経営健全化に手一杯で、経営が悪化した同業企業を救済する余裕がない。

浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。

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