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杭州(浙江省)は中国IT大手アリババグループやアリババから独立したアントグループの企業城下町であり、クレジットカード的な信用の代わりになる「信用スコア」やニューリテールスーパーの「盒馬鮮生」など、アリババ系エコシステムから画期的なサービスが続々と登場した。このように様々な新サービスが誕生した都市として知られている杭州は、ハードウェアを組み合わせたエコシステムが集まりイノベーションが生まれる街として知られている深圳とは対照的だ。
杭州の財源は健全で、2023年5月には杭州市政府は3つの1000億元(約2兆円)ファンドを設立しており、アリババやそれを囲む企業が多数あった。地元政府の投資ファンドがあるなら杭州が中国でベンチャーの街として存在感が上がっていくはずなのだが、起業家からはどうも杭州への評価は高くない。また、杭州は上海に近く、高騰する生活費などに嫌気がさして上海から杭州へと移住した高度人材もいる。アリババの城下町で多くの若者を集めているにも関わらず、杭州からはベンチャー企業は少ない。これはまた深圳とは対照的だ。
アリババとベンチャーのなぞについて起業家や投資家が対談した記事があり、それを読み解いていくと、杭州ならではの興味深い傾向があることが判明した。この記事は単なる都市案内にとどまらない杭州紹介になる。中国への解像度を上げるべく、読んで欲しい。
杭州といえば西湖だ。杭州で検索すればまず西湖の風光明媚な景色が表示される。湖の周りに山もあり、ホテルで映える会議ができるとして好評の都市だ。西湖と大きな川に挟まれたエリアに旧市街がある。若い労働力が集まり様々サービスやコンテンツが生まれるのは、旧市街から離れた西側と北側の余杭区と、旧市街の東側の川向こうの濱江区になる。アリババとアリババに関連するテック企業に加え、ファーウェイやTikTokの親会社であるバイトダンスなどの大手企業も余杭区にあり、アリババとビジネスを迅速に行うためにオフィスを構える。一方濱江区は自動車大手のジーリー(吉利)や、防犯カメラ大手ーのハイクビジョンのほかに、EC関連コンテンツやライブコーマスに関わる多くのインフルエンサーが拠点を構える場所でもある。例えばトップインフルエンサーのviyaやビリビリのUP主と呼ばれる配信者、中国版インスタグラムの小紅書(RED)のインフルエンサーをまとめるMCNも、濱江区に集中する。
これは浙江の「商人文化」と密接に関連し、それが人々を引き寄せていると分析されている。浙江の商人文化は、将来のことよりも目の前のことに関心があると言われている。別の言い方をすると、幻想的なことを考えることなく、地に足のついたこと、そして何よりもまず目に見えることを是としてやりたがる。
浙江省でアリババが生まれ、そこから淘宝(タオバオ)や天猫(Tモールl)が次々と誕生し、さらに中国のデジタル決済を支えるアリペイや次世代スーパーの盒馬鮮生といったプラットフォームが生まれたのは、浙江省の商人文化なくしては語れない。製品主導型やテクノロジー主導型の仕事ではなく、モノを売るためのプラットフォームを構築するために浙江の人々は忍耐強く無数のテストを行った。リリースしていくのは現実的な目の前の金を動かすことを至上とする文化があったからこそだ、と分析されている。そう考えると人が集まれば商人文化のノウハウが集まる杭州で、アリババ以外のモノを売るためのプラットフォームのMCNや配信者が集うのも納得だ。
ただデメリットもある。ベンチャーは中国でも他の国でもそうだが、長期的な利益をより重視し、ある程度の不確実性を許容する必要があるが、この考え方はすぐ稼げることをより重視する浙江商人の考えとは真逆だ。北京や合肥など他の都市で起業家が数千万ドルの資金調達とポテンシャルのある巨大市場について話し合うことはあっても、杭州の起業家同士が集えば目の前のことについて話すばかりだといわれている。アリババのベースが浙江商人文化なので、「巨大な資本と人材を抱えるアリババがベンチャーの文化を輸出できるか」という問いには、そもそも浙江商人の考え方と、長期的にビジネスを育てていこうとするベンチャーキャピタルの考えが矛盾している。杭州のベンチャーが立ち上がっても、それは杭州の土地ならではのビジネスであり、違う土地では文化が異なるので立ち上げることはできないわけだ。
浙江商人文化の影響は思わぬところにも出ている。杭州は歴史ある街で旧市街の食は美味しい。ところがアリババやベンチャーが集う郊外では、「食の砂漠」と言われるほど飯がマズいといわれている。この地域では、消費者は「テイクアウトで空腹を満たせばいい」程度の要求しかないことが多く、味に対する要求が低く、供給側は競争を意識せず自由に食を作っているのが原因だという。
浙江省の商人文化には「今は貧しい環境でも働いて後でいい環境になればいい」というのもある。中国で社長というと輝かしくする人が多いが、移動で長距離バスを使うような経営者もいる。こうした考え方をアリババのデリバリーやキャッシュレスによってサービスとして形にした結果、仕事で職場と家を往復し、食べるのはデリバリーで不味い食事ばかりとなっている。
さかのぼること5年前となる2019年に、アリババのジャック・マー前会長が、「仕事をして見返りがあるのはいいことだ」と、長時間労働「996(朝9時から夜9時まで、週6日間労働)」を称賛したことがあり、社員から不評で悪い意味で話題になった。このマー氏の発言も「今は貧しい環境でも働いて後でいい環境になればいい」という浙江商人の気質と重なる部分はある。どうにも現在のネット企業の長時間労働の問題もまた杭州発祥か、あるいは浙江商人の思想が広まった可能性がある。また食がまずくても商品がいまいちでも、「早く届けば星5つ評価」というのも浙江商人文化と関係があるかもしれない。アリババにより浙江商人の悩ましい文化が中国全体に広まったといっても過言ではない。
(文:山谷剛史)
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