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任天堂の家庭用ゲーム機「Nintendo Switch」には、中国向けの専用モデル(以下、中国版Switch)がある。発売元は中国ゲーム最大手、テンセントだ。2019年12月10日に中国で販売が開始され、日本のメディアでもその模様が報じられた。累計販売台数は100万台を超え、特に2020年から2021年にかけて中国市場で高い人気を誇った。
テンセントは2024年11月26日、発売から5年を経た中国版Switchについて、2026年3月31日より段階的にオンラインサービスを終了すると発表した。これにはゲームおよびオンラインソフトの販売停止が含まれる。また、2025年3月31日以降、新作ゲームのストア掲載も打ち切られる予定だ。この発表を受ける形で、駆け込み的にリリースされたタイトルのひとつが、国内外で話題を呼んだ「スイカゲーム」である。
憧れの任天堂ハードで開発できる喜び──中国開発者たちの原点
旧来の中国のゲームファンにとって、中国版Switchは当初から過度な期待を寄せられる存在ではなかった。というのも、中国政府による厳格なゲーム規制のもと、発売当初からタイトル数は大幅に制限されていた。仮に販売が認可されたとしても、発売日は海外と比べて大きく遅れる傾向があり、「あつまれ どうぶつの森」や「ゼルダの伝説」シリーズや「スプラトゥーン3」などの人気タイトルは、ついに中国版としてはリリースされることがなかった(世界版ソフトを挿入すればプレイ自体は可能)。2025年時点でも、テンセント公式サイトに掲載されている中国版Switch向けのタイトル数はわずか60本と、約2000本がリリースされている世界版と比べて圧倒的に少ない。
しかし中国の開発者は違う考えを持っていた。当時、中国版Switchのプロジェクトに関わっていた関係者の間では、発売当初、一定の高揚感があったという。少年期から(海賊版を通じて)任天堂作品に親しんできた彼らにとって、任天堂がテンセントと手を組み、正式に中国市場でゲーム機を展開する大きな節目だった。テンセントは中国ゲーム市場で確かな実績を持ち、任天堂のIPは長年にわたって中国のゲームファンに愛されてきた。両者の協業により、初めて本格的に中国で普及しうる任天堂のゲーム機が誕生し、自らもそのプラットフォームで開発できる──そんな希望があった。また、中国で主流のオンラインゲームユーザー層とは異なる新たな市場が開拓できるのではないかという期待も抱いていた。
中国のゲーム開発企業「Indienova(初始之部)」は、Switch向けに十数本のタイトルを展開する計画を立てていた。転機となったのは、Switchが正式発売される直前の2017年初頭。日本のパブリッシャーから「ゲームを開発すれば、新型ゲーム機(Switch)を提供する」との打診があり、これがIndienovaにとってコンソール向け開発に本格的に取り組むきっかけとなった。
「当時は『Switch』と言われても何のことか分からず、『Switchって何ですか?』と尋ねました。しかし、任天堂の次世代ゲーム機だと聞いて、私は任天堂ファンだったので、『ああ、それならとても興味があります!』と即答しました」とIndienova創業者の李建新氏は語る。中国国内ではまだ、Switch向けゲームの開発に取り組んでいる企業はまだ存在しておらず、「我々がその最初の開発チームだ」とスタッフに伝えると、チームの7〜8人は皆、声を上げて喜んだ。李氏は、初めてSwitchの開発アカウントと開発機を手にした時の興奮を今でもはっきりと覚えているという。子ども時代に大好きだった、こっそりと遊んでいたゲーム機の、最新ハードの開発機が手に入ったのだから震えるような感動だったのだろう。その縁もあって、中国版Switchが終了するまでタイトルを開発し続けることになる。
中国版Switchがリリースされたとき、開発者は非常に喜び、何度も議論を重ね、これは良い機会になるかもしれないと誰もが考えていた、と当時の現場を知る人は振り返る。また、中国版Switchの発売をきっかけに、関連する開発フォーラムや技術資料も次第に充実してきた。開発環境の整備が進み、新たにゲーム開発に参入する企業やエンジニアの数も増えていった。
中国版Switchは、発売当初こそショッピングモール内のゲーム専門店などで試遊台を用意したことも従来のゲーマーでない層を呼び寄せた。子どもが遊んでいるところを親が見に来て買う客や、企業の販促品として何十台とまとめ買いするケースもあった。最新のゲーム機が堂々と店頭で販売される光景に、米国のような成熟市場を思わせると感動する声もあった。しかし、コロナ禍で客足は途絶え、コロナ禍以降も消費意欲は落ち込み、オンラインショッピングが一層普及し、モールは食事やレジャー中心へと変化した。期待されたターゲット層への販売チャネルは、事実上失われてしまった。
一方コロナ禍に発売された「リングフィット アドベンチャー」は、中国で大きな注目を集めた。これまでゲームに縁のなかった層が購入したことで中国のゲーマーを驚かせた。Switchは中国では他に類を見ない孤高のプラットフォームだったが、このフィットネスゲームのブームが追い風となり、当時はダウンロードソフトの販売も好調に推移した。
普段ゲームをしない層が中国版Switchを購入したため、製品に関するコメントや口コミはほとんど見られなかった。そのため購入者を微信(WeChat)の公式アカウント(公衆号)に誘導した上で、そこから定期的に新作情報を発信することで、次のタイトル購入へとつなげる手法を取ったという。このマーケティング手法は新作発表ごとに話題となるコアゲーマー向けのタイトルとは異なり、どちらかといえば新興の化粧品や美容製品のプロモーションに似ている。
「スイカゲーム」誕生の裏側
Indienovaの最後のタイトルは、誰もが楽しめるゲームとして開発された「スイカゲーム」だった。もともとスイカゲームはプロジェクターの極米科技(JIMI)の子会社であるAladdin Xが自社製品の活用促進としてリリースしたもので、その後日本でテレビでも取り上げられるほどの大ヒットを記録。中国版Switch向けにも幅広い層に受け入れられるタイトルとして開発されたが、新規タイトル審査の締切間際の3月11日に申請が行われ、約1週間後に審査を通過。リリースは4月11日で、タイミングはまさに終了間際だった。
通常、中国でゲームをリリースするには長時間の審査を要する。1週間で承認が降りるのは極めて異例だ。特に、2021年から2022年にかけては政府による新規ライセンス発行が263日間にわたり停止され、業界全体が「空白期間」を経験した。Indienovaは「6年間でもっとタイトル出せたはずなのに、結果的に2タイトルしか出せなかった」と嘆く。こうした状況の原因は、政府の特殊なゲーム審査制度だけではない。パブリッシャーの担当者が突然いなくなり、作業を一からやり直さなければいけないこともあった。ようやく別のパブリッシャーを探し出すも、ちょうどその頃、ゲーム業界は263日間にも及ぶ“暗黒期”に突入してしまった。担当者は「何も悪いことはしていないのに、うまくいかなかった」と肩を落とす。
39歳で中途入社し、44歳で最後のタイトルを開発したIndienovaの趙威氏は、中国版Switch向けにゲームを配信することの意義について、葛藤を抱えていたという。「審査を申請して5〜6万元(約100万〜120万円)を費やし、それから3~5年も待たされる。ようやく審査が通ったころには、ゲームはすでに時代遅れになっているかもしれない。そんな中国版でのリリースに果たしてどれほどの意味があるのか。同僚とも何度も話し合った」と振り返る。「誰にとっても時間は限られているのですから」とも語るように、厳しい審査制度と市場の変化の中で、開発者が感じる現実的なジレンマが垣間見える。
中国版Switchは確かに一時的に盛り上がり、店舗に多くの客を呼び寄せ、開発者に夢を与えた。しかしコロナ禍、消費低迷、消えてしまう担当者、特殊なゲーム審査環境といった要素から低迷していった。当時を語ったほぼ全員が「中国で販売されたSwitchの物語は、運に左右され残念な製品になってしまった」「もっとうまくできたはずだ。ただ、そうしなかっただけだ」と語っている。Switch2が中国で販売されることになれば、初動で成功したSwitchよりも厳しいスタートになるだろう。
(文:山谷剛史)
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