年間〇冊、速読、多読…読書の目標設定が無意味な理由

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年間〇冊、速読、多読…読書の目標設定が無意味な理由

读书没有 KPI:为什么坚持“一年读 100 本书”没用?

编者按:读书本是一项安静、缓慢的活动,但随着现代社会节奏的加快,信息技术的广泛普及,读书这一行为模式也开始发生了变化。越来越多的人开始碎片化阅读,并且越来越多的文章推崇速读或者是一年读多少本书才能实现自我提升等观点。Jotform 创始人 Aytekin Tank 在本文中就这种观点进行了驳斥,并就如何高质量的读书给出了自己的建议。

读书是永不过时的潮流和趋势所在。读书有时候就像是健身餐中的羽衣甘蓝,不是那么好吃,但仍值得你细细品味,因为这样对我们自身有益。事实上,正因为读书的益处如此之多,所以我们每个人都应该尽可能多读书,越多越好。于是,有人提出我们每个人每周都应该读一本书,甚至有一种说法是建议每一天读一本书。毕竟,这正是马克·扎克伯格、比尔·盖茨和埃隆·马斯克成功的秘诀所在。

读的书越多,我们就会变得越聪明。但哪里有那么多时间可以用来读书呢?于是,人们开始追求以更快、再快一些的速度来读书。有许多的文章会告诉我们一些方法,让我们在更短的时间内阅读更多的内容,或者可以说是如何自欺欺人地认为自己读到了更多的内容。

速读能力的比拼似乎已经成为一种竞技项目,大家都在比赛看谁能最快地将纽约时报畅销书排行榜上的书单浏览完毕。不可否认,读书是我最大的爱好之一,我也经常同别人分享我是如何通过读书的所思所得实现 JotForm 400 万用户这一成就。但我们真的需要去比拼阅读速度、目标或者是数量吗?

关于速读的真相

速读方式最近似乎越来越关注速度的提升,但其实这一概念由来已久。据说肯尼迪总统每分钟可以阅读约 1200 字,但后来被人发现这一数字其实是他自己随口编造出来的。根据 1990 年版《吉尼斯世界纪录大全》记载,Howard Berg 每分钟可以阅读超过 80 页的文本。但阅读领域专家 Mark Pennington 指出这是一个谎言,吉尼斯根本无法验证这一点。

只有这些还远远不能解除人们对于速读的推崇,各种研究纷纷揭露速读的真相,并且背后具有强有力的科学理论作为支撑。眼动追踪研究人 Keith Rayner 教授指出,由于我们人类受到视网膜中央凹区域的限制,同时阅读大块文字内容这一技能无论是从生理上来说还是心理上来说都是不可能实现的。你无法一眼读完一整页的内容,所谓的 Z 字形速读方法也根本不现实,因为人类眼睛的生理结构根本就完成不了这样的操作。

至于那些生声称能够通过一次显示一个单词来提高阅读速度的应用程序,创作者说“读者的时间 20% 用于处理内容,80% 用于眼睛的移动和扫视”,但这种逻辑存在一个根本性的缺陷。我们的眼睛在移动时,我们不会停止思考,因此应该说是 100% 的时间都用于处理内容上,而只有 10% 的时间用于眼睛的移动上。

加州大学洛杉矶分校心理学家 Patricia Greenfield 表示,当我们的大脑在处理略读内容时,只会分配较少的注意力和时间用于一些速度更慢、更耗时的处理活动,例如推理、批判性分析和同理心等。换言之,在速读的过程中,我们无法给自己足够的时间去掌握复杂性的信息,也无法给自己足够的时间去提炼出自己的观点。

阅读速度提高,就意味着我们的理解力下降。因此,如果你只是想要扫描或者是浏览像购物清单或者是座次安排这样的文本内容,那可以采用速读方式。但是在速读方式之下,我们根本就无法真正地吸收所读取到的内容和信息,而这些才是阅读的意义所在。

每年读100本书?

通过以上的论述,我们应该可以得出这样的结论,速读并没有那么神奇。除此之外,我们还需要解决其背后真正的问题所在,那就是为什么我们会赋予速读如此神奇的色彩呢?

我并不反对一年读 100 本书这种说法,只要这个阅读速度和数量对你来说很轻松、很自然就好。因为每个人的阅读速度以及理解水平都不尽相同,所以你也绝对没必要执着于达到这样一个随意的数字目标。

首先,并非所有的书都一样重要,其中数以千计的书籍根本就不值一读。其次,萝卜青菜各有所爱,有些书可能会让一些读者产生共鸣,让他们感觉发自内心地赞赏这本书,但在另外一部分读者看来,这些书却是无聊到打哈欠的地步。再者,对于那些经典、观点深刻、发人深省的书籍,难道我们也能采用速读方式来对待它们吗?显然不应该。这样的经典著作值得被细细阅读、品味,需要我们翻来覆去地看,甚至转借给朋友,多方推荐。

我们为什么要给我们生活中最大的乐趣之一—读书也加上 KPI 考核、截止日期和目标呢?我们当下所生活的这个世界已经充满了各种各样的规则和考核基准,难道对于读书,我们也要去统一管理和规范吗?

如果你只是为了达成所谓的数量目标而读书,那:

  • 你几乎学不到多少知识。
  • 你不会进行反思和内省。
  • 你吸收到的东西非常少。

诚然,广泛阅读是许多成功人士所共同拥有的一个特质,因为成功人士往往对他们所生活的这个世界充满好奇。但他们成功的关键并不在于他们读了多少书,而在于他们通过读书有多少的所思所得。

我们为什么要读书?

首先看一下以下三种不同的阅读类型:

  • 第一种是被动阅读。类似浏览 Facebook、Twitter 网站信息或者是随意翻看医生办公室的杂志等。
  • 第二种是实用性阅读。出于一定的目的而去读书,读书是因为我们想要或者说需要去学习一些东西,例如我们上学时读书或者是为了提升某项个人技能或者能力去读书。
  • 第三种是愉悦性阅读。这里不仅局限于小说、杂志或者是逃避现实体裁的书籍,你无法用一个简单的概念来定义这一类别,因为它具有很强的主观性。只要你感觉对了,那就可以归类为愉悦性阅读之中,可以是一篇文章、一本小说,也可以是一本自传。

你读书是因为你想去读书,而不是因为你觉得自己应该读书。当你感觉自己达到了手不释卷的境界时,当你每翻阅一页,就能感觉到内心的愉悦,能感受到阅读所带来的满足感时,当你无论是在吃饭、在泡澡、在公园长凳上还是在地铁上,都能无时无刻地与书为伴,都能想到书中提到的某段话、某个情节、某一理论或者是方法时,那你就达到了想读书、好读书的境界。这样的你会完全沉浸在阅读的乐趣之中,甚至忽略了周围所发生的一切。

正是这种阅读的境界扩大了我们的词汇量和信息量,帮助我们获取到了极其宝贵的价值观和内容,拓宽了我们的视野。当阅读成为一种愉悦的享受之后,我们对阅读内容的理解也会达到一种新的高度,似乎不需要你再额外采取什么阅读技巧。但是,当我们纯粹是为了达到读书的目的而读书,为了完成那所谓的多少本书的阅读目标而读书,那这一神奇的效果就会消失,就像我们为了应付无聊的考试而读书,但在考试之后,所学的内容很快就会被忘得一干二净一样。

单纯阅读那些实现个人提升和发展的书籍并无用处,关键的一点在于读书之后要采取行动。如果我们不能将书中的理论和方法通过正确的方式应用于实践之中,那它们根本就不会对我们产生任何影响。像埃隆·马斯克这样的一大批名人之所以会将他们的成功归功于阅读这一习惯,是因为他们进行的是有目的的阅读,并且会将在书中的所学所得应用于他们职业生涯更广泛的背景之中。

正如西方世界伟大名著项目发起人 Mortimer J. Adler 曾说过的那样:“就阅读名著这一事来看,重要的并不是你读过多少本名著,而是你能理解其中的多少,又真正吃透了多少内容。”如果你所看重的是阅读的质量,而非数量,以下几点建议或许可以对你有所帮助:

尝试阅读经典著作

尝试暂时放弃励志类书籍,大多数这一类的书籍都是对少数经典著作的重新包装而已。所以,不如追根溯源,从最原始的智慧源头之处开始读起,从你所感兴趣的话题中挑选几本最优秀的著作,认真阅读这些著作,你将会受益良多。

不要对自己太苛刻

有一种观念认为,有些书只会给人带来一种“愧疚的愉悦感”,因为看上去好像纯粹是为了放松,只能在度假或者是在浴室泡澡的时候才能拿起来一读。好像如果读书失去了挑战性,不让你感觉乏味,读书也就失去了它的效用性一样。他们认为之所以要读书是为了在众人聚餐的晚宴场合能够引经据典、侃侃而谈,给人留下深刻的印象。

但阅读绝不应该成为一件苦差事,生命太短暂,我们没必要去强迫自己忍受那些自己根本不喜欢的书籍。选择你喜欢的主题,喜欢的题材,喜欢的作者。

有选择性

毋庸置疑,肯定会有一部分书会格外地适合你,会格外的适用于你的生活与工作,所以,你需要找到对自己更有意义的那一部分书籍。

对于自己喜欢的主题部分,进行深入挖掘,深入了解,找到最精华的书单,这样你的收获远比看畅销榜前十位的书籍要多得多。没必要只是因为这本书位列畅销榜,就去买这本书。忠实于自己的喜好和感觉,在自己喜欢的范围内进行广泛的涉猎和深入的阅读。

反复阅读

我发现自己有很多时候会一次又一次地去反复阅读同一本书,就如同你愿意一直穿那条舒适的牛仔裤一样。并且,每当我再一次去读这本书时,我都会有一些新的收获。正如有句话所说的那样:“我并不想将所有的书都去读一遍,我只是想一遍又一遍地去读那 100 本好书。”

如果你想拓宽自己在某一领域的专业知识,那对于那些能激发你灵感、引起你共鸣的书籍进行反复的阅读,会比阅读那些重复差不多内容的新书更有意义。

做笔记

当我们手动做笔记的时候,我们会更好地汲取到书中的内容和信息。并且你也可以在读书的过程中直接在书上写写画画,做标记,这样也是一种处理和诠释书籍信息的一种实用的方式。

加入读书俱乐部

读书俱乐部其实很有趣,因为你可以同他人一起分享读书过程中的所思所想,谈论一本你们共同都读过的书,分享自己的看法,听取他人的意见,乐在其中。我参加的一个俱乐部成员读书偏好体裁各有不同,因此对于那些平时只按自己喜好一眼都不会看的书我也会了解一下。

写在最后

在《Bird by Bird: Some Instructions on Writing and Life》一书中,Anne Lamott 这样写道:“对于我们这些人来说,书籍的作用就如同地球上的其他资源一样重要。这一页页扁平、小幅却又锋利的纸张向我们展示着这个世界的美妙,白纸黑字在你的耳边吟唱,抚慰着你的内心,或让你心境平和,或让你心绪激荡。书籍能够让我们更好地了解自己,了解我们的处事方式。书籍向我们展示社群和友谊的意义,让我们思考生存和死亡的真谛。”

阅读是一种神奇的体验,是一种远程知识与信息的传送,追求的是达到一种心灵上的感应。阅读的体验就像步入无限的空间和时间,步入浩瀚的海洋和大陆中尽情畅游。阅读能够让我们接触和了解这个地球上最优秀的那些人,获取他们的智慧,获取古人的经验,更好地走向未来。除此之外,阅读还会让我们有意想不到的收获:拓宽了我们的思维视野,让我们更加善于倾听别人的意见和看法,意识到自己的不足与渺小,从而更加谦逊。

但阅读所获取的价值多少绝不是根据你看了多少本书来决定的。诚然,阅读能够增强我们的同理心,让我们更加明智,但阅读本身也应该是十分有趣的一个享受的过程。我们也许不该将读书这件事看的太过严肃与古板,而是应该学会享受读书的乐趣所在:读书应该是一项美好的消遣、娱乐活动,而不是提升你账户余额的一条捷径。

慢慢读,细细品。不要带着功利心去读书,而是为了让自己开心去读书。

原文链接:https://medium.com/swlh/why-reading-100-books-a-year-wont-make-you-successful-1863dad5944d

编译组出品。编辑:郝鹏程

原文はこちら

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「本を読む」という行為は、テクノロジーが発達した現代においても、極めて重要なものだと認識されている。どんなに時代が移ろっても読書の価値が薄れることはない。

しかし、多忙な生活で読書時間を捻出するのは至難の業だ。世の中には「速読」「飛ばし読み」のノウハウが多く出回っている。読書量が多いほど得るものが多いと大半の人が信じ、世の多くの成功者が多読を成功の秘訣としているからだ。

しかし、本当にそうだろうか?フォーム作成サービス「JotForm」の創業者Aytekin Tank氏は、多読を是とする説に異論を唱えている。以下に彼の持論を紹介する。

速読の真実

速読スキルを身に着けたいと願う人には残念な事実だが、人には速読は不可能だ。

視標追跡学を専門とするキース・レイナー教授によると、人の網膜には機能の限界があり、速読をすることはできない。ページ全体をひとつの文章の塊として一度に捉える、あるいは視線をZ型に素早く動かして文章を捉えるといった速読法は、生理的に不可能だと分かっている。また、RSVP法といって、一度に1単語だけを視界に入れ、それを高速で繰り返して読み進める方法がある。文字を追う眼の動きを止めることで、内容の理解力を高めるという理論だが、実際、我々は視線を動かしている最中に思考が停止するわけではない。

読む速度を上げること自体は不可能ではない。しかし速度を上げれば上げるほど、理解力は落ちていく。スピードに集中すると、推理、分析、批判、共感に割く大脳のリソースが減少する。複雑な情報を多面的にとらえ、理解することが不可能になるのだ。商品カタログを眺めるように読書したいというなら話は別だが、気づきや学びを得て、自分なりの観点に昇華したいと願うなら、速読は意味をなさない。

「年間100冊」の無意味

読むスピードや理解力には個人差がある。だから「年間100冊」といった無意味な数字に踊らされる必要はない。無理なく100冊読めるならそれもよいだろうが、速読術を身に着けてまで数字を達成することに意味はない。

なぜなら、世の中には読む価値のない本も山ほど存在する。数多く読めばいいというものではない。また、「価値ある本」の定義は人によってまったく異なる。乱読を重ねるより、自分にとって「刺さる」1冊を吟味したほうがいい。さらに、「必読の名作」と称される本なら、速読で読み飛ばしてしまうのはもったいない。身に沁みるまでじっくり、繰り返し読むべきだろう。

読書に数字や期限や目標を設定するのはつまらない。ましてそれが、社会共通のものである必要などまったくない。多くの成功者は多読家だと言われるが、彼らの成功の秘密は「数」にはない。彼らの豊かな好奇心や学習能力、実践力こそが成功の鍵なのだ。

なぜ読むのか?

読書は大別して3種類に分かれる。

1) 気ままな読書
フェイスブックやツイッターをチェックする、病院の待合室で雑誌をめくるといった行為と同じ類の、時間つぶしの読書。

2) 学びの読書
特定の何かを知りたい、学びたい場合の読書。あらかじめ目的があって本を選び、読むということだ。

3) 楽しむ読書
「楽しむ」と言っても、小説や雑誌に限定しない。日常から逃避する行為とも限らない。コラムや伝記などジャンルは問わず、ただ読みたいから読む読書だ。

最後に挙げた「楽しむ読書」をすると、時には寝食を忘れるほど夢中になることもあるだろう。それは義務感からする読書とは一線を画する世界だ。こうした読書を通じて、我々は多くの語彙や情報を獲得し、自身の価値観や内面を高め、視野を広げるのだ。そこにはスキル云々は存在しない。爆発的な吸収力は、我を忘れて純粋に没頭することでしか得られない。試験勉強のような読書は、読み終わった瞬間に内容を全て忘れてしまう。

実のある読書をするには?

もし読書の量ではなく、質を重視するなら、以下のようなことを心がけるとよいだろう。

1) 時代を超えた名作を読む
自己啓発書の類は一旦横に置いて、長い年月を経てもなお名作とされるものを読んでみよう。そこには根源的な知恵が眠っているはずだ。自分が興味を持てる分野でいい。その中から名作とされるものを選んでみるといい。

2) 無理をしない
「学びのない読書は意味がない」と思いこんで、退屈な本を無理に読む必要はない。余暇にめくるような「くだらない本」から得る、何とも言えない楽しみだって存在する。決して読書を苦行にしないように。読みたいものを読もう。

3) 取捨選択をする
自分の生活や仕事、そして自分自身にとって有意義な本を選ぼう。有名人のオススメや、売れ筋ランキングに左右される必要はない。自分好みのブックリストを作ることに集中しよう。

4) 再読する
何度も読み返したくなる本に出会うことがある。何度でも読み返そう。読むたびに新しい発見がある。心から共鳴できる本、無限にインスピレーションを刺激される1冊に出会ったら、無理やり手に取った未読の本よりも大きな収穫をもたらしてくれるだろう。

5) 書き留める
心に残ったフレーズなどを書き留める行為は、より理解を深める。本に直接書きこんでもいい。

6) 読書クラブに参加する
複数のメンバーで同じ本を読み、それぞれの感想や意見を共有する場を持つといい。自分を表現し、また他者の考えを知るよい機会だ。自分とは異なる趣味や考えを持つ人の世界を知ることは、思いもしなかった景色との出会いにつながる。

最後に

読書とは美しい気晴らしであるべきで、娯楽であるべきだ。じっくり読み、心ゆくまで味わってほしい。利を得るために読むのではなく、ただ自分を楽しませるために読むのだ。
(翻訳・愛玉)

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