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中国の不動産大手・恒大集団のデフォルト懸念が高まり、業界全体に危機が波及する中、今になって「負けるが勝ち」と思い出されているのが大連万達集団(ワンダグループ)だ。創業者の王健林氏は海外事業の爆買いで名を馳せ、2015、2016年に中国長者番付トップに立ったが、政府の投資規制によって瞬く間に凋落し、「史上最速で転落した企業と起業家」となった。翌2017年の長者番付で王氏に代わってトップに立ったのが恒大の創業者・許家印氏だったことは、万達の失敗を目の当たりにしても、業界に漂う「金がないなら借りるまでだ」(当時の王氏の発言)という空気が変わらなかったことを示している。
ブランディングが課題だった恒大
中国で最初に不動産規制が導入されたのは2010年。その前の10年間で、既に価格が高騰し、投機的な動きも起きていた。今の状況が「不動産バブル」ならば、それは20年にわたって続いている。
2000年代に中国の消費力は急速に向上したが、質やブランドを追求する余裕はまだなく、不動産も自動車も「持つ」ことがステータスだった。恒大も地方都市で低価格の物件を大量に販売して成長し、2009年に香港証券取引所に上場した。
2010年の不動産販売実績をみると、恒大の販売額は業界トップの万科企業の半分にとどまった一方、販売面積は拮抗していた。翌2011年、恒大の不動産販売額は4位、販売面積は1位だった。恒大の売りは「価格の安さ」であったことが分かる。
不動産規制は2011~2022年にかけて全国に広がり、業界は一旦冬の時代に入った。各社が次の一手を探る中で、恒大が取り組んだのはブランディングだ。
恒大は2013年に不動産販売額で7位に後退したが、これは習慣化していた値引き販売をやめ、「低価格」ポジションから抜け出す取り組みの結果と言えよう。
同社は2010年には、八百長問題などでスポンサーが撤退した広州のクラブチームとスポンサー契約を結び、チーム名を「広州恒大」に変更。国内外から有力選手を爆買いして一気に強化した。許氏は、チームが強くなってニュースで取り上げられれば、CMより安くつくと考えたようだ。
投資効果はすぐに現れ、杭州恒大は2011年から中国スーパーリーグで7連覇、2013年、2015年にアジア一を決めるAFCチャンピオンズリーグで優勝した。日本で「恒大」の名前がまあまあ知られているのは、このサッカーチームのおかげでもある。
米国、東南アジア、欧州で爆買いに走った2010年代
スポーツをブランディングに使うのは新興企業の王道と言える手法で、恒大だけでなく多くの不動産企業がサッカーチームのオーナーになった。
だが、より大きな名声、利益を求める企業は中国での不動産購入規制を機に、政府の海外進出戦略「走出去」「一帯一路」に合わせて海外進出を選択し、中国企業の勢いを世界に見せつけた(バブル期に米国の不動産を爆買いした日本企業のようでもある)。
当時の業界トップだった万科は2013年、米不動産大手とサンフランシスコの高級タワーマンション建設で契約し「サンフランシスコ最大のマンションプロジェクト」と話題になった。
現在の業界トップである碧桂園は2011年、マレーシアでで高級コンドミニアムプロジェクトに着手し、「マレーシアの深セン」をつくる取り組みと騒がれた。
いずれも、急速に増えていた中国人富裕層・高所得者層の購入を見越したプロジェクトだったが、海外投資に舵を切った不動産企業の中で最も注目されたのは、大連万達集団による、創業者個人の野望を前面に押し出したエンターテイメント・スポーツの爆買いだった。
中国東北部に本社を置き、ショッピングセンターと映画館の経営で業績を拡大した万達の王氏が目指したのは「不動産王」ではなく「エンタメ王」だった。2012年に米映画館チェーン大手、AMCエンターテインメント・ホールディングスを26億ドル(約2900億円)で買収したのを皮切りに、ハリウッドの映画スタジオやスペインのサッカークラブに次々に巨額の投資を行った。2016年に開業した上海ディズニーランドへの対抗心も隠さず、「トラ1頭ではオオカミの群れにはかなわない」と国内13カ所にテーマパークを開業した。
2014年にグループの不動産企業と中国最大の映画館チェーンが上場したことで、王氏の資産は2015年までの1年間でアイスランドのGDPに匹敵するほど増え、2015年、2016年に2年連続でフォーブスの中国長者番付首位に立った(同氏は中国人として初めて、世界上位20人にも入った)。
余談だが、王氏の長男・王思聡もインフルエンサー兼投資家として有名になり、絶頂期は愛犬に8台のiPhone(iPhoneも当時のトレンド最先端だった)をプレゼントする写真を投稿したり、脱税で巨額罰金を命じられた女優・ファン・ビンビンのファンと大ゲンカをするなど、話題を振りまいた。
こうして国内外で「成り上がり」「中国人富裕層」を強烈に印象付けた王健林氏(とその息子)だったが、絶頂期は3年で終わった。2017年夏、外貨流出を懸念した中国政府が、金融機関に対し万達など海外M&Aを活発に行っていた複数企業への融資を制限するよう通達したのだ。
万達は借入金返済と現金確保のため、買い込んだ資産の放出を迫られた。国内のホテル76棟と13のテーマパークは、それぞれ同業大手の富力地産と融創中国に計1兆円で売却した。
不動産販売ランキングで2013~2015年までトップ5にいた万達は、今は50位以内にも入っていない東北部のローカル企業に戻り、王健林、思聡父子も「かつてないスピードで転落した元セレブ」になってしまった。
絶頂期には巨額債務も「積極投資」と評価
万達の“三日天下”時代には、業界トップの万科も、無名の投資会社に敵対的買収を仕掛けられ、2年にわたって混乱に陥った。万科が投資会社とその背後にいる企業との攻防に明け暮れる間に、恒大が万科の株式を買い進め、いつの間にか約14%を保有する第3株主になっていたこともあった。
2015~2017年にかけて、トップを争っていた万科と万達が失速したことで、恒大、碧桂園、融創が4強の座を得た。恒大が2016年に不動産販売額で初めて首位に立てたのは、“敵失”に助けられた面が少なからずある。
だが、当時の勝者はいずれも苦境にある。万達からホテル事業を引き継いだ富力はそれから間もなく経営が悪化し、従業員を半分に削減した。融創のトップ、孫宏斌氏は万達から資産売却の相談を受けた際、「自分が引き受けるから恒大には相談するな」と即答したとされるが、今は「第二の恒大」とささやかれている。
万達が経営危機に陥った際、不動産部門の負債額が2000億元(約3.4兆円)に上ることが判明し、「とんでもない巨額債務」と驚かれたが、恒大が抱える債務額はその10倍だ。
業界と企業の絶頂期には債務は「積極的な投資」と見なされ、政府も黙認する。しかし、政府の姿勢が変われば、それは自力では立っていられないほどの逆風として降りかかる。
不動産企業の戦国時代が「勝者なき競争」であるなら、たしかに早く負けた方が救いがあるのかもしれない。
浦上早苗: 経済ジャーナリスト、法政大学MBA実務家講師、英語・中国語翻訳。早稲田大学政治経済学部卒。西日本新聞社(12年半)を経て、中国・大連に国費博士留学(経営学)および少数民族向けの大学で講師のため6年滞在。最新刊「新型コロナ VS 中国14億人」。未婚の母歴13年、42歳にして子連れ初婚。
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